彦吉

彦吉 (ひこきち)。              

勝山そば店、先代の名前です。                          

勝山の黒いそばを生み、茅野駅前に食堂『新高島』を創業。その後、国道20号の峠の山の懐に『勝山そば店』を開業。 まだ中央道も開通していない昭和46年以降、蓼科や諏訪地域、はたまた高遠へ往来の要所だった場所で、勝山そば店は多くのお客様が訪れた店でした。

昭和50年頃と思われる当時の勝山

勝山のヒストリーはまたいずれの機会として、前回のブログでの通り、勝山とは?と歴史を辿り、深く掘り下げているのですが、そこはもう勝山=彦吉でしかない、という結論に行き着きました。

勝山=彦吉。当たり前なのですが、勝山そば店の彦吉を口上するより次の写真を。

こね鉢。               

先代が使っていた鉢です。先代彦吉の全てを表してる。そう思います。

そば屋ってどんなイメージを思い浮かべますか?職人、頑固、探求・・。世にそば屋の主人は数あれど、勝山の先代は異質だと思います。それを表しているのがこのこね鉢なのです。

割れて磨り減り欠けて。割れや穴を補修して。               

そば打ちは一般的には繊細さが必要です。加水していくと粉が水分を吸っていく。そんな状態を指先で感じながら・・。                

そんなそば打ちで、どうすればこね鉢がこれ程の様相になるのでしょうか?    

先代彦吉の、勝山の蕎麦に込めた魂がこのこね鉢に現れています。

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